「ふむ、こんなところか」
早朝、一人暮らしを営んでいるボロアパートの一室で、私は燃えるゴミを袋に纏めていた。
といっても、所詮は一人の人間が出すゴミの量。定期的に出している私の部屋からは一袋分が精々だ。
そんなぱんぱんに膨らんだ見た目よりも軽いゴミ袋を片手に、私は部屋を出た。
「はぁっ……」
口から漏れた吐息に冷気による白い化粧が施される。冬の朝は太陽の出が遅い。時刻は6時半を回ったというのに、外はなお薄暗かった。
私はこの朝なのに夜の雰囲気を残す時間が好きだ。身体はしっかりと目覚めていても、実はまだ夜なのではと意識が錯覚してしまう。
もし� �すると、このまま朝は来ずに夜を迎えるのでは等と夢想してしまったりもする。阿呆らしいが、もしそうなれば私には堪らなく魅力的な出来事に違いない。
しばらく藍の色を滲ませる空を眺め、ゴミ捨てという目的を思い出した私は歩きを再開した。
かんっかんっと所々に錆の浮いた階段を、なるべく体重を掛けないように降りる。万が一を想定してしまう程に、この階段の老朽化は酷い。ぽろぽろと錆が鱗の様に落ちていく。
無事に階段を下り終えても、帰りにまた上らなくてはならない。それに大学の行き帰りも合わせると、最低でも一往復。憂鬱にならずにいられない。
最近では誰が最初に階段を踏み抜くか、住民の間で賭けの種にすらされている。これには同情の念を禁じざるを得ない。当然、私のよう� �二階住民の事である。
階段? さっさと取り換えてしまえ、気が気でならんのだよ。
だがしかし、私がここに住まう間にこの階段に穴が空く確率は低いだろう。何せ、私を除く二階住民はみな人の皮を被った『何か』だからだ。
一応の補足をしておくが、件の住民らは人であることは間違いない。間違いはないのだが、何処か人として逸脱しているのだ。思考やら神経やら何やらが。
その逸脱振りたるや、思わず私が気圧されてしまう程だ。人外よりも人外染みている。彼等の前では私などぴーぴーと鳴くだけの雛鳥、つまり無力なのである。
つい先日も私の部屋(201号室)から真反対(205号室)の住人が『よっ!』という気軽な掛け声で、階段を使わずに帰宅したのを見ている。
もし踏み抜くとした� ��、やはり一般人である私だろう。
何とか踏み抜くことなく下り終えた。この時ばかりは一階住人を羨ましく思う。とはいえ、一階の住人も禄な人が住んでいないので、上も下も大した差は無かった。
今更ながら、ここは魔窟かと疑ってしまう。むしろ、化物たちの総本山と言われた方が納得出来るだろう。そして、
「がはっははははーっ! よぉ、坊主、おはようさん! お前さんも朝が早いなあっ!」
「おはようございます、大家さん」
この寒空の下、目の前で乾布摩擦に勤しむ御老体がその総大将か。ぬらりひょんと言うよりは、むしろドワーフのイメージだが。
「何だ、お前さんも一緒にやりたくて来たのか!」
「いえ、私はゴミを捨てに来ただけです。誘うなら山門(やまかど)さんの方が� ��いでしょう」
「ああ、あの学者先生か。ひょろっこい身体してる癖に根性はあったもんなぁ!」
風邪は引きたくないので、私は生け贄を捧げて回避した。
西洋妖怪めいた容姿の癖に、この御老体の実態は大和魂の塊である。 しかもそれを押し付けてくるから質が悪い。住民は個々の差はあれ、みな被害に遭っている。
そこで、アパート住民による大家対抗会議にて全会一致(大家夫妻と本人除く)で生け贄に選ばれたのが、件の山門さんだ。
山門さんは有名な日本語学者である。ただし、枕詞に『色々と』が付いてくる。というのは、氏が重度の日本語オタク、いや、日本語フェチなのが原因である。
『日本語大好き! ただし、それ以外全ての言語・文字は消滅してしまえ!』と言ってのける程で、会話は勿論、室内にある物全てに日本語が刻まれ、それ以外の外来語は排斥されている。
夢は英語が敵性語と定められた時代、つまり第二次世界大戦中に移り住み、そこで妻を娶ることらしい。日本語の研究よりも時間旅行の研究が先で は、と言うのは無粋であろう。
そんな訳で、大家(男)に最も波長の合うだろう人間として生け贄に祭り上げられたのだが、実に嵌まり役であった。これには薦めた我々も安堵したというものだ。
ただ、問題があったとすれば、山門さんが乾布摩擦の最中にテンションが上がり過ぎて『鬼畜米英!』だ何だと叫ぶものだがら、ご近所の視線が痛かった。
翌日、塀にスプレーで大きく落書きがされていたのも嫌な思い出だ。
意気揚々と山門さん(103号室)を起こしに行く大家に、私はやるにしてもなるべく声を抑えるように言い、ゴミ捨て場へと足を運んだ。
ご近所の目は当然痛いのだが、あまり喧しさが過ぎると他のアパート住民も怒り出す。そうなると、こちらにも厄介が飛び火するのだから困る。
� �種はしっかりと消しておくに越したことはない。
「よいしょ、と」
ゴミ捨て場に到着した。
まだ朝も早いからか、そこは全くの空である。しかし、これも少し時間を置けば山となるのだ。ゴミだけに。
そんな小さな山の礎となる重くもない袋を、態々掛け声を込めて下ろす。
「これが年をとるということか。……ん?」
私がしみじみと世の諸行無常を愁いていると、自身に向けられる強い視線を感じた。
前後左右を見回してみても、私以外の人影は無し。では下かと俯いても、蟻が隊を成しているだけ。当然、彼等の複眼に私は映っていないだろう。
となると、残るは上という選択肢のみ。
「あいつか。……んん?」
いた。私を見つめる生き物が電柱の上に。
視線の主の� �体、それは硝子めいた瞳を持ち、全体が驚く程に白い、白い……。
「鳩?」
「違わいっ! だーれが鳩ぽっぽだってんだ、このすっとこどっこい!!」
と呟いたら違っていた。しかも、本『鳥』の口から不正解を言い渡されてしまった。悔しい。
……ではなくて、
「これは驚いた。ただの鳩かと思えば、人語を介する鳥だったとは」
「あーん? そういうおめえは俺っちが見えんのか。まだそんな力を持った人間がいたことの方が驚きだわ」
「そうだろうか? 私の回りでは至って普通なのだが」
「そりゃおめえの回りが異常なだけだってーの。あと、俺っちはただの鳥じゃねえ。烏(からす)の起源にして頂点、白烏の惣五郎(そうごろう)様とは俺の事よぉ!」
白烏は自慢気に翼を広げ、自身の 存在を宣言した。誰も名を尋ねてはいないのだが、勝手に名乗るあたり、烏の癖に頭が少々残念なのだろう。私の回りはこんなのばかりだ。
昔から、烏という存在の霊的な格は非常に高いものとされた。
その濡れ羽色した翼から、吉兆と凶兆の相反する遣いとして東洋・西洋問わず認知された者。世界の名立たる神話を紐解いても、登場の機会は多い。
有名な名を挙げるとすれば、烏の最高格と言っても良い八咫烏。太陽の化身とも言われ、日本のサッカーファンであれば、三本足をした烏のシンボルマークは馴染み深いだろう。
そんな最高格を押し退けて自身が烏の起源だと言う白烏は些か過信が過ぎるようにも思えるが、こうして会話が成立している以上は立派な霊鳥であるという事。
だから、それなり� ��敬意は払っておくことにしよう。それなりに。
「はぁ、それでその白烏様が私に何の用で?」
「ばっか野郎、おめえみてえな小僧に用なんざねぇよ。俺っちが用があるのは、おめえの置いてったその袋でい」
「このゴミ袋を? 霊鳥である貴方が何故こんな物を必要とするのですか」
別に金気のあるような物は含まれていないのだが……。
「何でぇ、おめえは本当に馬鹿なのかい。そこにゴミ袋あれば、烏のすることなんざ一つだろう」
「……まさか」
「おう、その中身をいただくまでさ。分かったらその袋を寄越してとっとと失せな、小僧」
糸球体腎炎は、尿中に血液の原因になります
惣五郎の言葉に頭が痛くなった。
別に馬鹿だの小僧呼ばわりされる事にではない。歳をとったものがそれだけで偉そうな態度をとるなど珍しくはないからだ。
問題は歴とした霊鳥である存在が、そこらの烏同様にゴミ漁りをしようとしている事実だ。何がどうしてそうなった。
「そりゃあ、楽に飯が手に入るからだろ」
「……伊達に長くは生きてはいないでしょう。貴方には誇りというものはないのか?」
私は呆れてそう言ったが、烏の惣五郎は私を強く睨み返してきた。
「ふん! 長く生きてりゃなあ、それだけ学ぶ事も多いんだよ。そん中で俺っちは、今の時代は誇りで腹が膨れねえ事を学んだのさ。
別に烏� ��しての誇りは捨てちゃねえ。俺っちの中にゃあ今も変わらず残ってるさ。だが、それを捨てさせたのは誰だ? ……おめえら人間だろうがよ。
山を拓いて、木を切って。どんどんどんどん俺っちの住む所、食う物を奪いやがる。そんな勝手な野郎の仲間が烏としての誇りの有無を尋ねるだぁ?」
惣五郎は翼を、羽の一枚一枚を逆立て、言った。
「いい加減にしやがれ! 俺っちの誇りを一方的に奪ったのは、おめえら人間だろうがっ!!」
「……」
これは、私の失敗。あまりにも軽率な発言だった。
惣五郎の私に向ける視線の中に敵意が混じる。伊達に相手は霊鳥ではない。この場で私を消すことくらい造作もないだろう。
逆に言えば、すぐにそうしないという事は、挽回の機会を失していないと いう事でもある。惣五郎の私へ向ける敵意は言葉ほどに強くはない。
巧遅は拙速に如かず。私は深く考えるのは後回しにして、先ずは行動に移すことにした。
「無神経な事を言って申し訳ない。私ももう少し考えて口にすべきだった」
「はっ、口では何とでも言えらぁ!」
「確かに貴方の言う通りだ。だから、私なりの誠意をもってお詫びをしたいのだが、どうだろうか?」
言葉と共に頭を下げることも忘れない。
「……へぇ、人間にしちゃあ殊勝じゃねえか。期待していいのかねぇ?」
すると惣五郎の口調が一転、私を値踏みするものに変わった。試されていると分かり、私は努めて平素と変わらぬ態度と口調で返す。
「まぁ、それなりには」
「はーん? ま、いいか。精々、俺っちを満足 させてみな小僧」
こちらが下手に出ると、惣五郎はくわっくわっと笑い声をあげた。烏の癖に現金というか……。いや、烏だからこそ現金なのか。
しかし、今までの経験からこういう特殊な手合いは対応を疎かにすると、往々にして禄な目に遭わない事を知っているので強くは言えない。
ある一つの事を除いて。
「だから、その袋を持っていくのは勘弁願いたい」
嬉々として袋を持っていこうとする惣五郎に釘を刺す。自分の出したゴミをそこらに撒き散らされるなど堪ったものではない。
「ちっ、ケチな野郎だなぁ……」
貴方も大概図々しいが、という言葉を私は何とか飲み込んだ。沈黙は金なり、だ。
# # #
「何でい、この殺風景で金気の少ねえ家は。人間の家ってのはもっ� �物に溢れてるもんじゃねえのか?」
「いや、私の部屋が特別少ないだけです」
所変わって私の部屋。行きと違い、私の肩には白烏の惣五郎がいる。これがまた部屋に入るなり苦言を申すのだから余計なお世話である。
全般的に収集癖を持つ烏と違い、私は極端に物を持たない性格をしている。部屋には本当に最低限必要だと思われる物しか置いていないし、嗜好品など本が精々である。
私がつくづく面白味のない人間だと言われる要因の一つだったりするが、ちゃんと生活出来ればそれで良いのだ。
「ま、おめえの事はどうでもいいや。それよりもほれ、さっさと誠意とやらを見せてくれや」
「現物支給で構わないか?」
「あー、何でも良いから早くしろい」
言質は取ったので私も動くとする。� �れにしても、本当に現金な烏な事だ。
一先ず惣五郎を肩から降ろし台所に向かう。そこには前日に味わった料理が少し残っていた。烏は雑食なので食べられない物はないだろうから、ある物全部を器に注いで配膳していく。
「どうぞ、お納めください」
「おう、って何でい飯かよ」
「何か不満でも?」
「いや、不満ってえか、現物支給なんて言うからてっきり光物の類かとよぉ……」
「これも立派な現物支給でしょう。一杯に収めると良いかと」
「胃にってか? 頓知じゃねえか」
「では下げましょうか?」
「いや、誰も食べねえとは……、分かった! 分ぁったよ食べるよこん畜生!」
何か不満があるようなので料理を下げようとすると、惣五郎は慌てて器に嘴を突っ込もうとする。
し� ��し、行儀が悪いので私は構わず下げる。かつんと机と嘴のぶつかる音が響いた。
「何しやがる! 食えねえだろうがっ!」
「いただきますが聞こえない」
「な、何で俺っちが人間の真似なんか、ああもう、分かった! いただきますっ! これでいいんだろう!?」
「よし」
「てめえ、実は俺っちのこと舐めてるだろ!? 目ん玉突いてほじくり返すぞ!?」
「おお、こわいこわい」
何やらがーがーと鶏冠(とさか)にきている様子なので大人しく料理を並べ直す。
烏なのに鶏冠っておかしいなと思う私だった。
「おい、何だこの食い物は」
「猫まんま、ご飯に味噌汁をぶち込んだ料理ですよ。その方が食べ易いでしょう?」
「いやまぁ、そうなんだが……。烏の俺っちに猫のつく食い物� ��てどうよ?」
「焼き鳥の方がよろしかったか?」
「さり気なく共食いを勧めるんじゃねえよ。いや、するけどさ? あと、おめえが俺っちを舐めてるってのがよーく分かった」
「恐縮です」
「おめえはちっとばかしその口閉じてろい」
黙ってろと言われたので、大人しく惣五郎の食事姿を眺めることにした。
余程腹を空かせていたのか、茶碗に頭まで突っ込んで中身を食らっている。がっつきが過ぎる所為か、米粒や汁が惣五郎の漂白したかのような身体にびちゃびちゃと飛び散っていく。
私は汚れるのを勿体なく思い、ティッシュで軽く拭いてやることにした。
「動かないでください」
「おん? おお、悪いな小僧」
「いえ。……折角綺麗な羽毛を見付けたのに、汚れてしまうのもなと思� �ただけです」
「おめえ、本当に俺っちに何する気だ!?」
惣五郎はその柔らかそうな羽を逆立て、再び私を威嚇した。うむ、やはり霊鳥の羽毛は格が違う。枕に詰めれば、さぞ良い夢が見れることだろう。
そんな私の邪念に気付いたか、惣五郎が私の手より慌て離れる。まぁ、離れると言っても茶碗からそれほど離れていないあたり、警戒心より食欲の強さの方が勝っている事が伺えた。
「ったく、油断ならねえ人間だぜ畜生……」
「いやぁ、それほどでもないですよ」
「褒めてねぇよ。ちっ、これで飯が不味けりゃあとっくに消してやってるっつーのに」
「美味しかったですか?」
「ああ。おめえに言うのは癪だが、美味かったよ」
「そうか、それは重畳。作った彼女も喜ぶだろう」
「……あ ん? 彼女、だぁ?」
私がうんうんと頷いていると、何故か惣五郎が喰い付いてきた。はて?
「この食い物はおめえの彼女とやらが作ったのか?」
「彼女というか、私の後輩が作った物ですよ」
後輩とは勿論、あの大南後輩である。彼女はふらっと私の部屋に寄っては料理を作っていくのだ。
最初は遠慮していたが、彼女の合鍵を持ってまで作りに来る根性に、さすがの私も押しきられてしまった。最近は外堀を埋められているのではと内心で恐々としている。
しかし、今の私の問題は目の前の惣五郎だ。
「……へぇ。嫁でもねえ雌を侍らせて飯まで作らせるたぁ、おめえさん良いご身分じゃねえか。ええ?」
「別に侍らせてなどいない。その後輩はたまに私の部屋に来ては料理を作って帰って� ��くだけです」
「はっ! それを聞いてどれだけの雄が納得するもんかねぇ!」
何があなたの体は水を保持させる
語調を強める惣五郎に、私は内心で首を傾げるしかない。
何故に私と大南後輩の関係に、赤の他『鳥』である惣五郎が突っ掛かってくるのか。とんと見当がつかない。
これが単に私が馬鹿なだけという理由なら納得も出来るのだが、理由も語られずに嫌味を言われる筋合いはない筈だ。
「何を拗ねているのですか」
「別に拗ねちゃねえやい。ただ、おめえが気に入らねえだけだ」
ぷいと私から顔を背ける惣五郎。明らかに拗ねた態度である。
何故か私にはその態度が友人である日和の姿に重なってしまった。人間の癖に鳥類と類似点を持つとは、つくづく大した男だ。
だからこそ、惣五郎とあの男の思考が似ているの� �はなどという血迷った考えを抱いてしまったのだろう。
「もしや、貴方まで私と後輩の関係が羨ましいなどとは言わないでしょうね?」
「馬鹿かおめえ。何で俺っちが二足歩行猿の色恋なんざに嫉妬しなきゃなんねえんだ」
日和の奴は会う度会う度にその事を口にする。私はただの腐れ縁だと言うのだが、奴はまったく聞く耳を持たない。
態度だけとはいえ、日和と似た部分を持つこの烏ももしやと思っての発言だった。
とはいえ、あくまで私の中での類似性であり、惣五郎にそれを否定されても私は何も感じなかったし、むしろ安堵すらした。
だからこそ、私の本日二度目の失言も生まれてしまったのだが……。
「でしょうね。貴方のような格の高い烏なら、相手にも困らないでしょうし」
本当に私にとっては何気ない一言だった。そう、私にとっては。
気付けば部屋の中の空気は一瞬で凍り付いていた。誰がやったか、誰の所為かは火を見るよりも明らかだった。
「おめえは馬鹿なのか?」
底冷えするような声と共に、惣五郎の瞳が私の瞳をひたと捉えた。そこに湛えるは怒りという名の感情だ。
「馬鹿だから考えなしに俺っちを怒らせてんのか?」
慧眼とも呼ばれるそれは私の心中を探るようで、酷く落ち着かない気分にさせられる。
「おめえら人間は、そんなにまで傲慢な考えの生き物なのか?」
逸らしたい。しかし、一瞬でも逸らせばどうなるか分からない。だからこその膠着という判断。
時間にすれば一分か二分か、先に逸らしたのは惣五郎だった。彼は多分に呆れ� ��含んだ声で私という存在を断言した。
「いや、違うな。おめえは俺っちを恐れてねえだけだ、これっぽっちもな。だから、俺っちに対して無神経な態度をとるし、これでもかってほど的確に怒らせやがる」
「褒めていますか?」
「褒めてるように聞こえるか? ずぶてえ奴だって言ってんだよ」
これ見よがしに溜息まで吐かれてしまった。
「ああ、おめえ相手だといちいち怒るのも馬鹿らしい」
「私は何か怒らせるような事を言ってしまったでしょうか?」
「言ったから俺っちが怒ったんだろうがよぉ。おめえ、あれだろ? 他人を思いやる気持ちが欠けているとか言われた口だろ?」
「何故それを知っているのですか」
「そんだけ無神経な事を口にしてりゃあ思われて当然だっつうの」
正� ��には他人の気持ちを汲むというのが面倒なだけである。過去にその事を話した時は『お前は生き辛い性分をしている』と評された事もある。
惣五郎にこの短時間で二度も睨まれるあたり、私は本当に生き辛い人間なのかもしれない。
「おめえは嫁の相手に困らねえなんて言ったが、それは半分正解で半分間違いだ」
「というと?」
「確かに俺っちが適当に嫁をつくろうと思えば楽勝よぉ。何をしていなくても阿婆擦れの雌共が寄ってくるからな」
「自慢ですかそれは」
本当だとしたら日和との類似性が薄れてしまう。奴は決定的にモテないというのに。
「自慢っつうか必然だな。強い雄に雌が惹かれるのは当たり前だろう」
「何とも自然界らしい法則な事で」
「人間の事情なんかは知ったこっち� �ねえよ。ま、おめえがさっき言ったように相手には困らねえ。それは正解だ」
「では、間違いというのは何なのですか?」
私の問いに、惣五郎は若干の憂いを込めて答えた。
「簡単なこった。適当な相手が見付からねえだけよ」
惣五郎の言葉に私は首を傾げる。
「適当な相手が見付からないというのはどういう意味ですか」
「どういう意味って、そのまんまさ。俺っちに釣り合うだけの雌がいねえ。それも容姿云々じゃあなく、格の問題としてな」
格の問題、そこまで言われて理解が追い付いた。
「成る程。貴方は腐っても白烏という高位存在、そこらの烏では番として不適切という訳ですね」
「おめえの言い方は気になるが、大方その通りだ。並みの奴じゃ結局は俺っちとの格の差に気後 れしやがるし、中には俺っちが原因で命を落とす奴もいる。つまり……」
「貴方が安易な気持ちで番を選べば、番や回りを不幸にするし、自身も傷付くと言う訳ですか」
「俺っちの台詞を奪うんじゃねえやい」
しかし、私の言葉は否定しない。もしかすると、身を以て経験したのかもしれない。何とも、何とも難儀な運命に生まれた烏である。
まぁしかし、ここで一つ疑問が生じる。
「貴方は適当な相手がいないと言ったが、それは本当か?」
「おう。この辺りじゃ俺っちみたいなのは一羽だって見当たらねえ」
「それは何故ですか? 現に貴方のような烏はいる。それなら一羽くらい居てもいいのでは?」
「おめえ、俺の今までの反応見てたら分かるだろう? 弱い奴は淘汰されてったのさ、時代っ� �奴にな」
惣五郎は諦観の籠った声でそう言った。
「時代……」
「そう、時代だ。昔は良かったって悦に浸っちまう、あの時代さぁ。俺っち、いや、俺っちみたいな奴にとっての時代ってやつは正にそれだった。
今よりも妖怪や神共が万倍多くて、平気で人間の前を闊歩していたそんな時代でな。信じられねえかもだが、今みたいな鉄臭さなんて欠片も無かったんだぜ?
あの時は毎日が祭みたいで良かったぜぇ? 仲間同士で馬鹿やり合って、人間を適当に襲って、ビビッて逃げる様を肴にして楽しんでたもんだ。
俺っちは一番力があったから纏め役でな、馬鹿共の相手に苦労したもんさ。ま、力だけは有り余ってるような奴ばっかだからな、縄張り争いじゃ何時だって一等賞だった。
んで、調子に乗 った俺っちたちは一度神に喧嘩売ってな? 全員こてんぱんにのされちまったもんだ。へへっ、あん時は若かったよなぁ。ああ、爺くせえな、ったく。
そういえば、恋なんてもんもしたな。相手は三本足の美烏だった。これがまた美しいのなんのってな! 今の餓鬼共なんざ束になったって構わないに違いないぜ?
んで、ある時辛抱堪らなくて嫁になれって言ったんだが、これがまさかの親分の娘でなぁ。あん時は危うく灰にされかけるところだったぜ」
惣五郎は自分が生きた時代を生き生きと語った。その姿と声は本当に楽しそうで、聞いているこちらも思わず感化されてしまいそうになる。
おそらく今の姿こそ、粗野でぶっきら棒な惣五郎の自然体なのだろう。
しかし、時代とは常に移ろうもの。惣五郎� ��仲間と共に羽ばたき、楽しみ、慈しんだ時代は、今となっては既に過去のものなのだ。
「だが、そんな楽しかった時代は終わっちまった。神は姿を消して、妖怪は廃れて、俺っちの仲間も討たれていった」
「誰の手でと聞くのは愚問でしょうかね」
「ああ、おめえら人間の仕業さ」
つい先程も似た言葉をぶつけられた。しかし、先と違いその言葉に激しさはない。
惣五郎は淡々と事実だけを吐き出していく。
「何時の時代からだったか、人間が急に強くなりだした。鉄砲だとか言う鉄の武器を使い始めて、妖怪たちを蹴散らしていった。
何時の時代からだったか、人間は神を信仰しなくなり、存在を否定し始めた。他に信じるものが出来ちまったんだな。多くの神が人間を見捨て去った。
何時の� ��代からだったか、住んでいた場所の地形が変わっていった。人間が俺っちたちの生活圏にまで手を伸ばしてきやがった。抵抗は、無駄だった。
そして、何時の時代からだったっけなぁ、俺っちは独りぼっちになっちまった」
血糖値はテイを帰しません
外から起きだした烏たちの鳴く声が聞こえた。その声は一緒なれど決定的に違い、惣五郎の孤独を癒しはしない。
「人間に挑んで殺される奴がいた。昔と同じ暮らしを送ろうとして出来ない事に絶望した奴がいた。それでも足掻いて死んだ奴もいた。居場所を求めて去った奴も、沢山いた」
惣五郎が上を向く。そのガラスの様な瞳に、彼の一生の内に出会った者たちが走馬灯の如く映っているのだろう。
「貴方は人間を恨んで……」
「恨んでるに決まってんだろ。俺の仲間をばらばらにした元凶なんだからよぉ」
私の問いに先回りする形で答える惣五郎。当たり前と言えば当たり前過ぎる答えであり、その気持ちは本当なのだ� �う。
しかし、彼は言った。自分たちを淘汰したのは時代であると。
「では、貴女は時代というものをどう思っているのですか?」
「時代かぁ……」
概念だしなぁと悩みながら、自分の想いについて考える惣五郎。姿は烏の割に、真剣味は人以上だ。
「あー、俺っちにとっての時代ってやつは何て言うか、恨みの対象でもあり、親しみのあるものって感じだな。
今や少し前からの時代は俺っちに厳しいが、仲間と馬鹿やった過去の時代には確かに優しかったのも事実だ」
「しかし、時代は貴方の仲間を追いやった筈」
「それでもだよ。おめえら人間共が我が物顔でぶらつく鉄臭い今の時代になって恨みを覚えたさ。
だが、俺っちや仲間が飛び回ったあの激動の過去も愛すべき時代だ。恨んで憎 んで妬み抜いた挙句に呪詛吐き続けても、嫌いにはなり切れねえんだわさ」
「嫌よ嫌よも好きのうち、ってですね」
「言い得て妙だな、それ」
惣五郎は感心したようにそう言い、卑怯だよなと笑った。
「時代は俺っちたちを見限り、人間の味方についた。今の世が人間の天下にあるのが証拠だな」
「時代が人間を選んだ訳ですか」
「ああ。とはいえ、おめえら人間も結局は時代に囚われた存在だ。俺っちたちの時代を壊したのは人間でもあり、時代そのものだ。
俺っちは人間を恨んでいると言ったが、今の時代ほどじゃねえ。まぁ、同情みたいなもんだがな」
「それは何時か人間の治める時代が終わるという事ですか?」
「ははっ、あんだけ栄えてた俺っちたちの時代があっさりと終わったんだ。昔 の神よりもやんちゃしてるおめえらなんざ一瞬かもしれねえぞ?」
惣五郎はおどけた風に言うが、なまじ人間である私からすれば笑えない話である。
今この一瞬にも自然を削り、争いを起こし、地球の寿命を刻々と縮め続けている私たち人間の事だ。核の一つでも地上に落ちれば、私たち人間の時代は忽ち終わりを迎えるだろう。
それこそ、惣五郎たちの言うかつて神や魑魅魍魎らが跋扈していた時代のように。実にあっさりと。
「そうかもですね。肝に銘じておきます」
「嫌に素直だな、気持ち悪ぃ」
「人間の過去を振り返れば、貴方の忠告を与太話と一蹴するにはあまりに力不足ですから」
「忠告じゃねえよ、良いように曲解すんじゃねえ。しかし、人間の時代にも暗い闇ってか。ままならねえなぁ� ��おい」
時代、時代と惣五郎は呟き、
「まぁ、俺っちも全部が全部、時代が悪い訳じゃないってのは分かってんだ。悪かったのは……っ!」
そこまで口にして、はっと口を閉ざした。先程までの明朗な喋りが嘘であるかの様に。
「な、何でもねえ。今、俺っちが言った事は気にすんなよ!?」
それは何か後ろめたさを感じるが故に起こり得る行動であり、人も烏も変わりはない。
惣五郎は何かを隠したがっている。それは彼が体裁をかなぐり捨ててまで隠したい事であり、しかし、彼の話を聞いた第三者からすれば分かりそうな事でもある。
そして、きっとそれは過去から今まで惣五郎を捕え、縛り続けている。彼に独りで生きることを強制している。
それは余りにも救われないではないか 。
「悪かったのは……」
だから、私が言葉を引き継ぐ。びくっと惣五郎の体が震えた。
それを分かっていながら、彼が隠したがっていたと思われる事実を、私は口に出す。
「本当に悪かったのは、時代に適応することの出来なかった貴方たちだった。
人間は常に変化を選ぶ生き物。何時までも貴方たちの存在に脅かされて平気でいられる性分でもない。だから、技術発展という進化の道を選んだ。
刀や鉄砲を作ることで魑魅魍魎に対抗し、科学を発展させたことで神を敬う必要も無くなった。時代が勢いを持った人間を後押ししない筈がなかった。
貴方たちの様な古い存在が見放されるのは必定だった。その一時だけに満足し、貴方たちは人間という存在を侮った。それが決定的な敗因だった。
貴方は人間を、時代を恨んでいると言った。その想いは私にも分かる。しかし、聡い貴方なら気付いている筈だ。貴方の想いは、ただの逆恨みでしか……」
「言うな!」
ない、と続けようとした言葉は、惣五郎の叫びによって止められた。
「それ以上言ってくれるな、小僧……」
惣五郎の声は震えていた。それは何かを堪える声だ。
その胸の内をどのような感情が渦巻いているのか。憤怒か困惑か、後悔か嫌悪か、はたまた悲哀か。彼でない私には分からない。
分かるのは私の言葉が彼に激情を齎(もたら)したという事実と、私の言葉も大概ブーメランな発言だという事だ。
今の時代に胡坐をかき、いつ失墜してもおかしくないのは人間も同じなのだから。
「惣五郎……」
惣五郎� ��私の用意していた茶碗に頭を突っ込んでいた。先よりも深く、頭が完全に隠れる程にすっぽりと。
見れば惣五郎の白い翼は震えている。あれだけの威勢を誇っていても、所詮は彼も時代に取り残された一羽でしかないという事だ。
私が今抱いている感情は抱いて当然であり、惣五郎の過去を知りもしない私が抱くには分不相応なものだろう。
だから、私は惣五郎を励ましはしない。それは彼を傷付けるだけだから。
だから、私は代わりの言葉を送る。それは彼に欠けている事であり、何より必要な事だから。
本当に、面倒臭がりな私には似合わない。
「今からでも遅くはない。自分自身に変化を求めよう。でなければ、貴女の誇りも尊厳も何れは地に堕ちるだけだ」
惣五郎からの答えはない。た� �、かつかつと空になった茶碗の底を突く無機質な音だけが返ってきた。
# # #
「もう良いので?」
「おう。腹ぁ十分に膨れた」
あの後は特に会話も無く、惣五郎がおもむろに顔を上げた所でようやく再開した。
「そうですか。ちなみにこれからの予定は?」
「予定なぁ。烏の生活なんざその日が過ごせりゃあ十分なんだが……」
「その言い方だと、何か予定がある訳ですか」
「まぁ、な。……いいか、特に教えてやるが笑うんじゃねえぞ? 笑ったら突っつき回してやるからな?」
「承知しました。して、その予定とは何なのですか?」
「おう、嫁探しだ」
それを聞いて、私は笑いはしなかった。代わりに目を瞬(しばた)いた。
「嫁探し……。しかし、嫁に出来るような奴は いないと先程貴方は言いませんでしたか?」
「ん、まぁ、そうなんだがよぉ。確かにこの辺りで俺っちと釣り合うような雌はいねえ。いるのは大抵が超の付くへっぽこ餓鬼烏ばっかりだ。
でも、それはあくまでこの辺りの話でしかない訳だろ? 広い世界だ、探せば俺っちみたく長生きで力のある烏もいるかもしれねぇ。俺っちはそいつを嫁にすんのさ」
「つまり、旅に出るのですか。確かに、ここへ一生留まるより可能性はありそうですな」
「だろ? だから、ちっとばかし遠出しようと思ってよ。何でそんな単純な発想が出来なかったんだろうなぁ、俺っちも……」
どんな心境の変化があったのか、惣五郎はそう言った。先に漂っていた諦観の雰囲気は鳴りを潜め、何処となく浮わついた様子に見える。
� �やら希望が生まれたらしい。何が切っ掛けかは分からないが、良い方へ向いたのは私としても喜ばしい。
「となると、ここを去るのですか」
「だな。ここも悪くはねえが、嫁の候補がいねえんじゃ居る意味がねえからよぉ」
「そうですか。それは寂しくなるなぁ」
「……おでれぇた。おめえの口からそんな言葉が出てくるとは思わなかったぜ」
「ええ。朝の喧しい烏たちの声が一羽分少なくなると思うと寂しさを感じざるを得ませんよ」
「んな事だろうと思ったよぉ……」
惣五郎は疲れたような呆れたように呟くが、実際に五月蝿いのだから仕方ない。それと寂しく思っているのも本当だ。
「んじゃまぁ、喧しい烏はお暇(いとま)するかぁ」
「さようなら。また会えることを今日の学食のメニュー並みに楽しみにしていますよ」
「おめえは本当に淡白な野郎 だなぁ。俺っちの本音も聞いたんだから、もうちっと親しみってやつを込めたって……、っとそういえば、おめえの名前は何てぇんだ?」
私の名前を今更になって尋ねる惣五郎も大概淡白な烏だと思うのだが、どうだろう。
それよりも、このやや尊大な性格をした白烏が、さか私の名前を聞いてくるとは予想外だった。正直言って困る。
私はいちいち名乗るのを好まないので、惣五郎の私への興味の薄さを利用して黙っていたのだが、これ以上の黙秘は無理な様だ。本当にどんな心境の変化があったのやら。
私はさてどうやって躱そうかと悩んでいた。すると、外から例の階段の寿命を大幅に削りかねない勢いで、誰かがこの部屋を目指してやって来る音が響いてきた。
この一切の遠慮や慎みを感じさせな� �暴力的な足音の持ち主を私は一人しか知らない。そう、女神(後輩)の登場である。
「生雲せんぱーい、おはようございまーす。あなたの愛しの後輩によるおはようの出張サービスですよー。ギャルゲー恒例のあれですよー。羨ましいですねー、このこのー!
まだ寝てますかー? 寝てますよねー。今から私は寝起きドッキリを敢行しますからねー。その名も、『私が目を覚ますと、視界が愛しの後輩で一杯だった作戦』!
もう白雪姫の原作者が卒倒しちゃうくらいに濃厚なキッスで、あなたを起こして差し上げるという薔薇色企画! うはっ、想像しただけで私わくわくしてきましたよ!? いざっ!」
「君はドアの前で何を騒いでいるんだ」
「ああ、先輩が起きてる! 畜生、企画倒れっ! しかし、これが現 実っ! うがぁっ!」
「絶望しているところ申し訳ないが、おはよう大南後輩。上がっていくか?」
「あ、はい、おはようございます。そして、お邪魔します」
そのままだと私の世間体に支障が出るので、一先ず大南後輩を部屋に上げることにした。当然、大南後輩の視線は惣五郎へ向く。
「わっ! 先輩、部屋の中に鳩がいますよ!? 食用ですか!? ソテーにしちゃうんですか!?」
「落ち着け、あれは烏だ」
「烏……。烏のお肉って美味しいんですかね?」
「うむ、食べられないことはないらしい」
「じゃあ!」
「じゃあじゃねえよ、ボケ人間共。揃いも揃って同じ間違いしやがるし、物騒な話してんじゃねえよ!」
「え、先輩も鳩と見間違ったんですか? うへへ、お揃いですね私たち� ��」
「どうでもいい所に喰い付いてんじゃねえ!」
大南後輩の天然な発言にも律儀に突っ込む惣五郎は実にイイ烏だと思った。
「ってか、嬢ちゃん。俺っちが喋っても驚かねえのな」
「慣れてますから!」
「そうかい。嬢ちゃんも普通じゃねえのな」
「『も』とはどういう意味か。まぁ、大南後輩に関しては私の所為という部分もあります」
「ほーん。……ん? 後輩って事は、嬢ちゃんがおめえの言ってた彼女なのか?」
惣五郎は私たちの特徴こそ適当に聞き流したが、ややこしい言い方で質問をしてきた。お蔭で大南後輩のテンションはロケットの推進力を得たかの如く跳ね上がる。
「か、彼女っ!! 先輩、遂に私との交際を自覚してくれたんですね!?」
「ただの三人称だ。そして、� ��と交際に至るような切っ掛けに覚えはない」
「ううっ、まだ時間が早かったんですかねぇ? でも、大丈夫。私と先輩の絆は前世から今まで絶賛継続中です。生雲先輩、私、信じてますから!」
「……真剣に君の頭をかち割ってみたくなってきたよ」
きっとこの軽そうな頭の中にはストロベリーのジャムやアイスが詰まっているに違いない。それも砂糖たっぷりで激甘の。
「だっはっはっは! おめえを手玉に取るたぁおもしれえ嬢ちゃんじゃねえか。なぁ、生雲?」
「頭痛の種でしかない気もしますが。そして、何故私の名前を?」
「そこの嬢ちゃんがさっきそう呼んでたろう」
「そうではなく……」
「良いじゃねえか。俺っちが呼びたくなったんだからよぉ」
さっきまでは小僧呼ばわりであ� �たのに、急に名前で呼ばれるとそれはそれでむず痒い。
惣五郎はそんな私の気持ちなど気にもせず、大南後輩の方へと顔を向けた。
「おう、嬢ちゃん。おめえの名前を教えてくれねえか?」
「私の名前ですか? 大南涼風ですよ、烏さん」
「ふむ、涼風嬢ちゃんな。先に謝っとくが、嬢ちゃんの作ってた飯、勝手に馳走になっちまった。すまねえな」
「烏さんがですか。私は別に構いませんよ? 誰かに食べてもらえれば作り手として嬉しいですし、先輩の部屋に上がり込む口実も出来ますし」
「そうかい、それなら俺っちの気も休まるってもんよ。嬢ちゃんの飯、美味かったぜ? きっと良い嫁さんになれらぁ」
「や、やっぱりそう思います!? でへへへぇ……」
私が口を出さないでいたら余計な� ��を吹き込んでくれたものである。惣五郎を睨むとあからさまに視線を逸らされた。人の姿をしていれば、口笛を吹いていたに違いない。
「さーて、空気の読める烏さんはお暇すっかねぇ。長居して焼き鳥にされちゃ堪んねえ」
「出ていけ、さっさと出ていけ。でないと塩に直接漬けるぞ」
「おお、こええこええ」
そう嘯き、器用に嘴で窓を開けた惣五郎は、
「あばよ、生雲の小僧に涼風のお嬢ちゃん。次は別嬪な嫁を連れて来てやっからよぉ!」
ばさりと純白の翼を誇らしげに広げ、朝焼けの空へと飛んで行った。最後まで喧しい烏だった。
「で、何だったんですか? あのまっしろ白助な烏さんは」
「ゴミ捨て場で偶然会って、成り行きで部屋に上げたんだよ」
「ふーん。どーせ無神経な事� ��も言って、なあなあに済ませようとしてご飯を分けてあげたんでしょう?」
「何故そんな事が分かるんだ君は……」
「先輩の考えている事を読むなんて朝飯前ですよ!」
それを出来るのはきっと彼女だけだ。この後輩には本当に敵わない、こんな時は何時もそう思い知らされる。
「あ、もうご飯ほとんど残ってないじゃないですか」
「朝に軽く残していた程度だったからなぁ。惣五郎が食べた分で尽きたんだろう」
「あの烏さん、惣五郎って名前だったんですか。仕方ないですね、私が適当に作っちゃいますから待っててください」
「時間は大丈夫か?」
「ふっふっふ! 良いお嫁さんに不可能はないのですよ!」
「ああ、そうかい。頑張ってくれ」
「はい! あ、ついでに晩御飯のリクエスト� �お聞きしますけど、何が良いですか?」
「晩御飯の? そうだなぁ……」
頭の中で色んな料理が踊る。しかしまぁ、たまにはこんな夕食も良いだろう。
「今日の私は無性に焼き鳥が食べたい気分なんだ」
味は勿論、塩のみで。
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